第595回 落語研究会

1月24日 国立劇場小劇場

歴史ある落語会である「落語研究会」、この会の顔付けやネタ選び、放送される番組作りとすべてをこなす名物プロデューサーがイーストの今野徹氏。落語家さんたちからも信頼厚く、長年この会と番組を支えてきた。その今野氏の訃報が伝えられたのが昨年の12月。多くの落語家から追悼のメッセージがネットで流れてきた。

普段から多くの高座をチェックして、これぞという演目をリクエストしての今野氏からの落語研究会への出演依頼は、演者にとってどれほど嬉しく誇らしいことか。映像化された高座を観ると、出演者の皆さんの意気込みが伝わってくることからも、そんな出演者の皆さんの気持ちは容易に想像できる。

BS−TBSでは2時間版が放送されているが、1月20日の深夜の放送では、橘家圓太郎「おかめ団子」古今亭志ん輔厩火事柳家喬太郎「雉子政談」という充実のラインナップ。

どれも熱演で良かったが、特に良かったのが志ん輔師匠。寄席で聴くことが多く、長めの演目をしっかり聴いたことがなかった。今回の「厩火事」は出色の出来だと思った。出演者の皆さんが張り切って熱演されるのは、放送を観ても充分に伝わってくる。

演者の十八番を指定することもあれば、演者にとって意外な演目をリクエストすることもあるようで、そんな今野氏のオファーに応えようとする演者によって、この落語研究会で多くの熱演のコンテンツが残されてきた。これだけでも、今野氏が落語界に多大な功績を残されたことが分かる。

これら今野氏をめぐる話は、ネットで拾ったもの。今野氏の早世のニュースが落語界に衝撃をもって伝わったこともネットで分かる。

今回の落語研究会の顔付け、ネタ選びが今野氏の最後の仕事だったどうかは定かではない。しかし、この日の演者の皆さんは、おそらく今野氏を偲びつつ高座で熱演されたことと思う。合掌。

柳家小太郎「時そば

落語研究会の高座はアウェイ感ビシビシと言いながらも、いつものように両手でピースサイン。結構余裕なのかも。久々に拝見したが、格段に上手くなっているし、佇まいから自信が感じられるのだ。

マクラの話。居酒屋に呼ばれた仕事、店内の小上がりに高座をセッティング。いざ開演となって高座に上がってビックリ。なんと高座の後ろにも観客がいる!こんな状況です、と言って客席に背を向けて後ろ向きに座って、落語をひとくさり。こりゃあまったく判らない。会場も爆笑。

この会は全員ネタ出し、なので小太郎さんがこの噺をするのは分かっているが、普通の時そばの導入部と違う、その後の展開も初めて聴く型。

吉原帰りの二人連れ、有り金を掻き集めても十五文しかない。兄貴分がこれで十六文のそばが食べられると実際にやって見せる。粗忽者の弟分は理屈がなかなか飲み込めない。

やっと理解して、翌日に真似をするも、二人連れ前提の台詞そのままでやるので、蕎麦屋は困惑を通り越して気味悪いと怖がってしまう。そんな不思議だけど可笑しい時そば

見せどころは、蕎麦を食べる兄貴分の横で見ているだけの弟分が、蕎麦を食べたいので、兄貴分の袖を引く仕草だ。あたかもそこに弟分が居るかのように、兄貴分の袖が引っ張られる。これがなかなかに可笑しい。

そして翌日、今度は一人で蕎麦を食べてる弟分が、誰もいないのに袖を引っ張られる仕草を真似る。前日は本当に引っ張られ、翌日は引っ張られている真似をする。観客から見ると、前日と同じ仕草なのに状況が違う。傍らには誰もいないのに存在するかのように演じている弟分を小太郎さんが演じている。前日と翌日、同じ仕草でもリアルと真似とを演じ分ける。これは、かなり高等テクニックだと思う。これを上手くこなしている小太郎さん、ほんと上手くなったなあと思う。

会場で偶然にお会いしたランディさんに伺ったところ、この「時そば」は春風亭昇太師匠の型だそうだ。さすがお詳しい。ランディさん曰く、本家の昇太師匠の時そばはもっと可笑しいとのこと。小太郎さんでも十分面白かったが、本家の噺もいつか聴いてみたいと思った。

金原亭馬治「棒鱈」

この「棒鱈」は、馬治師匠の十八番といって良い演目。それが今野氏に認められて、演じるネタとして指定されたことは、馬治ファンとしては誇らしい思いだ。この日はそんな馬治ファンも大勢駆け付けている。

この会は、毎回、立派なパンフレットが配られる。その中に、長井好弘氏のインタビュー記事が掲載されているが、今回は「金原亭馬治と「棒鱈」」と題された記事。読んでみると、けっこう本格的な芸談、手の内を見せる企業秘密のような内容で、馬治師匠の楽屋裏を披露されている。

この「棒鱈」は、二ツ目時代に馬治育英会でネタ下ししたときに聴いていて、私にとっても思い出深い演目でもある。それ以来、「お見立て」「片棒」と並んで掛け続けてきて十八番にした演目なのだ。

この記事のインタビューによると、馬治師匠は田舎侍が薩摩藩の侍であることは強調しないとのこと。聴くたびに違うのは、赤ベロベロの田舎侍の薩摩色の濃淡だ。濃かったり薄かったりと、その設定は自由自在。この日は結構、薩摩色が濃かったかなあと感じる。

大河ドラマ好きの馬治師匠、今季放送されている「西郷どん」もきっと毎週観ているはず。そんな「西郷どん」の影響で、今年の馬治師匠の頭の中には、薩摩弁が渦を巻いていくことだろう。そんな馬治師匠の今年の「棒鱈」が、もっと薩摩色の強いものになるのか、はたまた、西郷どんにほだされて、薩摩色が薄くなっていくのか、その変化がちょっと楽しみなのだ。

「西郷どん」放送記念で今年は棒鱈イヤーになる、・・・かもしれない、ならないか。

入船亭扇遊「三井の大黒」

お足元の悪い中、そんな挨拶の文句が本当に合う状況の中、ようこそお出でいただきまして、そんな実際の天候を語った時候の挨拶。扇遊師匠の暖かい人間性が表れているようで気持ちいい。

自分は電球の球(たま)も替えられない不器用な人間で、器用な人がうらやましい。そんなマクラからすんなりと本編へ。

口跡鮮やかな扇遊師匠ならではの、大工達や棟梁の江戸弁のセリフが小気味良い。職人たちが乱暴で短気な様子と、棟梁の落ち着いた親分肌の貫録が見事。甚五郎はつかみどころのない不思議な人柄が、観客にも正体不明のような感じを与えて効果的。

リズムもよく会話がトントンと進んでいくので、なんとなくウトウトと意識を失いかけるも、何とか持ち堪えた。

仲入り

三遊亭歌武蔵「後生鰻」

開口一番は「この会は、たいがい場所後に呼ばれるのだが、今回のように場所中なのは初めて」。お馴染みの「ただいまの協議についてご説明いたします」じゃないので、あれえ、と思わせておいて、待ってましたのお約束の大相撲の話。何かと話題の大相撲の話、歌武蔵師匠がマクラで語らない訳がない。期待に応えてくれて、会場もテンションアップ。

この日の取組の結果から、不祥事の処々の話題を面白く。聴いていて嫌味に感じないイジリ方は、まさに落語家さんらしいシニカルさ。某立行司評議員の某おばさんイジリは可笑しかった。

そんな相撲界と比べて、落語界はパワハラもセクハラも何でもありです。同じ子弟関係の世界なのにどうして違うのか。歌武蔵師匠が語るその理由は、正に正論。大相撲改革論もなかなかに説得力がある。

浮世絵の広重の名所江戸百景から「深川萬年橋」の一枚の解説から本編が始まる。この絵には吊るされた亀が描かれていて、この亀は当時、売り物だった。その亀を買った人は、川に逃がしてやり、生物の命を助けて功徳を積んだと、信心深い人は喜んで買っていたと、その自己満足ぶりを皮肉って解説。上手く本編につながる良いマクラだ。

信心深い大家のご隠居が、鰻をさばこうとしている鰻屋の前を素通り出来ず、買って逃がしてやる自己満足ぶり。それが客観的には可笑しい状況なのだが、ご隠居の表情が真面目でマジで喜んでいるところが凄く可笑しい。私的には、この日一番笑った一席。

柳家權太樓「藪入り」

手元に湯飲みが運ばれていて、喉の調子が悪いから保険のために置いておくだけです、飲む訳ではありません、そんな話から始まる。湯飲みで飲みながら噺をするのは、自分の芸風では出来ない、と言って演じたのが、湯飲みで飲む仕草を入れながら三遊亭圓生の物真似。これには会場大受け。

マクラでは、藪入りの前提となる子供が奉公に出たという状況を丁寧に説明。以前、へっつい幽霊の一席の後、へっついとはどんな物か分からなかったので楽しめなかったというようなことを言われたことがあったらしい。

奉公に出ていた時代は、そんな昔ではない。その奉公の期間は給金がなく、その代わり小遣いという制度があった。奉公の様子を演じながら、かなり長めで丁寧な解説。逆に普通は詳しく説明する藪入りの風習やペストの蔓延とネズミ採りの懸賞金の話はあっさりと。

本編に入っても、藪入りで息子が三年ぶりに帰ってくるということは、なかなかセリフで登場しない。寝床での夫婦の会話の中でその状況がじわじわと伝わってくる。

そんな夫婦の会話は、非常に感情的だ。特に、父親はよく泣く。亀を奉公に出すときの別れの場面が丁寧に描かれるが、ここで父親は既に涙、涙だ。後半では、母親も泣く。そして最後は亀ちゃんも含めて家族全員で泣く。これだけ感情的に泣く表情を見せる権太楼師匠は珍しい。初めてかも。寝床であれも食べさせたい、あそこへ連れて行きたいと話す時点で、かなりウエットでセンチメンタルな父親である。後方の席だったので、そんな権太楼師匠の表情がよく見えず残念。表情がよく見えるテレビ放映が楽しみだ。

藪入りは親子の情を描く噺、当然、親子のあふれる感情の表現が見どころではある。演者によって見せ方が違うので、ここは好みの問題。私は、もう少し感情抑え気味の型の方が好きかもしれない。

下げは初めて聴く型。「忠のおかげ」ではない。オリジナルな下げなのだろうか。